3月例会の報告です!!
江津青年会議所はコロナウイルスの影響により活動を自粛しておりましたが、WEBを使用した活動を中心に再開しております。先の見えない状況ですが、未知の可能性を切り開く青年会議所活動をしてまいります。
3月例会は会に先だちまして、大畑理事長をはじめとする一般社団法人江津青年会議所の皆様が周年活動のPRに来られました。55周年特別委員会田原委員長より、益田青年会議所が55年間運動を継続出来た事に対して感謝の意を示す周年事業にし、江津青年会議所様とのつながりをさらに強めたいと挨拶致されました。
さて、3月例会は「温故知新」と題しまして髙橋委員長の率いる会員資質向上委員会さんの設営によりとり行われました。
会員資質向上委員会の皆さんは3月例会を設営するにあたり、近年のJC活動は卒業されたメンバー(JC会員は40歳になると卒業になります)との距離が少し遠くなってきているという背景から、諸先輩方が作り上げてきたJCをどう受け継ぎ、継承をしていくかというところを考えたときに、なぜアメリカでJCは作られたのか、日本青年会議所はなぜ作られたのか、江津青年会議所はなぜ作られたのかということを、当時の世相も合わせて例会で発表されました。
まず
●1920年 アメリカJCの設立から
アメリカは弾圧から逃れた人々が自由平等という理想を求め独立を勝ち取った国であるという事。世界大戦の中、国際協力の必要性が認知され、JCIが誕生していき、アメリカJCは青年が真に活躍する社会を目指して作られ、世界恐慌や2つの世界大戦を経ても突き進み続けたとことを発表されました。
●1951年日本JCの設立
戦後の日本で三輪善雄さんを中心とした若者たちが集まり1949年9月に東京青年会議所が設立されました。1951年2月には10LOM・全会員506名までの組織に拡大し日本青年会議所の設立していること。1951年5月にはJCI加盟し戦後初の国際会議を1952年4月に日本で行っている。日本のために活動し、僅か3年で戦後の日本を国際舞台に引き戻したという事実から、メンバーのやる気スイッチが入る内容であり、未知の可能性を切り開くとはこういう事なのかと感じるメンバーも多かったと思います。
●1974年江津JC誕生
そして私達が住み暮す江津の歴史や江津の青年経済人の動きを時系列で発表され、
1962年に江津市庁舎が完成し、1964年に東京オリンピックが行われという成長期の歴史から1972年に江津集中豪雨災害があり、1973年オイルショックや中東戦争という江津市に混沌が続く中で1974年に江津青年会議所がが誕生しているという背景をしりました。
初代理事長 花田 昌司
スローガン「ひとりひとりの自覚・行動・協調」
から
第46代理事長 押越 奈津紀
スローガン「ONE LOVE ふるさと愛家族」
までの歴史を、当時の写真やインタビュームービーなどを使い卒業されたメンバーの皆様の想いを学ぶことが出来ました。
3月例会を通して今一度、青年会議所とは何か、各発足の歴史を学びました。
先輩の思いを受け取り正しく伝統を継承し紡いでいきくこと、より良きものとして次世代につなげることの大切さを改めて気づかせていただきました。
会員資質向上委員会の皆さん、ありがとうございました。
会員慶弔では
兒島正俊担当理事と元重慎市委員のお子様の誕生をメンバーでお祝い致しました。
おめでとうございます〜家族親睦会でお会いできるのを楽しみにしています!!
〜ONELOVEふるさと愛家族〜