2月22日は県民にとって大切な日。
島根県が条例に定めた「竹島の日」であります。
永井直前、室﨑会員大会副議長、私と平下専務で式典に出席してまいりました。
(室﨑君はカメラマン)
式典には溝口知事をはじめ、多くの国会議員の先生方も出席されておりました。
島根県知事や隠岐の島市長が、竹島返還への切実な思いをスピーチされました。
そして国会議員紹介で会場内から歓声や怒号の声が上がる。
その光景を見ながら、なぜか私はあるワンシーンを思い浮かべていた。
時代劇ドラマ大岡越前のワンシーンである(@_@)
母親と名乗る二人の女が、一人の子供を巡って大岡裁きを受けるワンシーン。
大岡越前は言った。
「子の腕を持て。お前は右じゃ。そちは左を持つがいい。それから力いっぱい引き合って勝ったほうを実母とする」
女たちは子供の腕を思いっきり引っ張り合った。
子供が痛がって泣くので、一方の女が思わず手を放した。
勝った女は喜んで子供を連れてゆこうとしたが
大岡越前は「その子は手を放した女のものである」と言った。
「本当の母親なら子を思うものである。痛がって泣いているものをなお引く物がなぜ
母親であろうか」と裁きをつける。
我が子を思う母の愛情を描いた物語である。
我が国は、韓国との引き合いの裁きの場にすら上がっていないのではないか?
我が子を思う愛情の如く
竹島を思う私たちの愛情が試されている。
日本国民いや島根全県民が真剣に竹島のことを考えているのだろうか?
民意を重んじるべき国会は、そうした一枚岩にならない状態を、透かし見て重い腰を上げようとしない。
韓国は今も子供の手を引っ張り続けている。
我が国、日本も先ずは裁きの場へ。
(竹島について 中学生作文コンクール優秀作品発表)